沿革
本院の初代理事長兼病院長の鈴木雅洲は、東北大学医学部産婦人科教授時代の昭和58年(1983年)に、外国でも希にしか生まれなかった体外受精による妊娠出生に、我が国で初めて成功いたしました。その後、教授退官後から現在に至るまで、一貫して日本の不妊症治療における最先端の「医療技術開発・臨床実践・人材育成」に努めてまいりました。
すなわち、鈴木雅洲は教授退官後、東北大学医学部における医療の実践を継続し、さらに公的機関の大学では成しえなかった医療技術の開発・研究を、民間病院としての特性を生かし自由な発想のもとに取り組むため、日本初の体外受精の高度不妊治療専門の医療施設として、昭和61年7月14日に「スズキ病院」を開設いたしました。
開院後は、他の医療施設とは異なり体外受精を応用して、より難治な不妊症の患者さまの新治療法開発に努めてまいりました。その結果、平成4年4月には日本初の顕微授精胚の妊娠出生に成功、さらに平成13年4月には、日本初の成熟卵子の凍結解凍後の受精・妊娠・分娩に成功し、国内はもとより国際的にも評価される不妊症の新治療の実績を確立して、その普及に貢献してまいりました。
日本における不妊症診療及び周産期医療に携わるスタッフの教育と人材育成のため、医師・研究者・助産師・臨床技術者を対象に、国際的にも今日まで「スズキ病院」を生殖補助医療の、新技術の公開及び発表の場として位置づけました。
さらに、常日ごろ母子保健医療における助産師の教育・養成の重要性を認識してまいりました。そのため、年間の分娩件数が800件を越える本院を、助産学生に対する教育・実習の場として提供し、全国でも数少ない民間が運営する助産学校を平成4年に開設し現在に至るまで、毎年優秀な助産師を全国に送り出しております。
この様に、開院時から今日まで、理事長兼病院長の鈴木雅洲は、国際学会を始め国内の各種学会及び研究会は勿論、他の医療関係機関、全国の不妊症の患者さま・妊産婦さま・出生児のご両親・ご家族の方々からも、その功績を認知されているところです。
平成18年5月1日には、20周年を迎え、理事長兼病院長の鈴木雅洲及び多くの医師とスタッフが、高度医療の技術開発及び提供並びに教育を実践した記念すべき医療施設に、その偉大なる功績を長く後世に伝えるため、関係官庁に名称変更を申請のうえ認可をいただき、「スズキ記念病院」と改称いたしました。
今後も、日本人の少子化傾向がますます進む中で不妊症患者さまの他、多くの人々への大きな希望となることは勿論ですが、産科・婦人科・周産期医療及び小児科医療の充実に努めてまいります。この病院名の改称を新たなスタートと位置づけ、理事長兼病院長を先頭に優秀な医師及びスタッフの確保と養成とに専念し、ますますの技術革新と開発に努め、社会に高度医療を常に提供できるよう、全職員が一丸となって日々研鑚してまいります。
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